詳細
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カスタマーレビュー
おすすめ度:
医学的・科学的 哲学書
(2008-12-30)
解剖学の専門家である著者が、「脳」という医学的・科学的見地から語るユニークな哲学書。
本書の主旨は、以下の著者の言葉に端的に表れているだろう。
「われわれはいまでは脳の中に住んでいる。したがって、その脳を知ることは、われわれの急務である。それが、公式的には、私が唯脳論を書いた動機である。」
その真意を知りたければ、もちろん本書に目を通すのが一番だが、個人的に興味を持った部分を幾つか紹介する。
まず言語について。言語を視覚と聴覚の統合と捉え、構造と機能の関係との類似点を指摘する辺りはなかなか興味深い。
「視覚は時間を疎外あるいは客観化し、聴覚は時間を前提あるいは内在化する」
「構造では時間が量子化され、機能では流れる。構造と機能という、この二つの観念がそもそもヒトの頭の中に生じるのは、いわば脳の視覚的要素と聴覚的要素の分離ではないのか。」
さらに、「脳化と身体性」という本題に言及。そこで、「社会とは、すなわち脳の産物である」とし、独自の視点から社会を捉えようとする。
「ヒトは本能が壊れた動物である。それが生きていくためには、本能に代わるものとして幻想が必要である。幻想は各個人のうちにあり、社会はその共通部分を『共同幻想』として吸い上げることによって成立する。」
「われわれはいまでは脳の中に住んでいる」
「社会は脳の上に成立し、個人は身体の上に成立する。」
共通認識としての社会はまさに「脳」による産物であり、対して個人を特徴づけるのは「身体」。脳化を善・進歩とする現代の社会では、身体性が抑圧され、身体=死体は嫌われ、排除される。そこには「個人=身体は滅びても、脳=社会は滅びない」という思想が横たわっており、死に向き合おうとしない社会性を問題視する。
本書を読み進むと、映画「マトリックス」を思い浮かべるが、敢えて映像化するなら大きなずれはないように思う。著者は「唯脳論」によって脳化社会を肯定しているわけではなく、脳の肥大化により排除されつつある身体性を取り戻すべきであることを主張している。
良い
(2008-12-11)
これほど明快に一元論が語られたことがあっただろうか。すばらしい。
脳がすべてという誤解
(2007-07-15)
脳から見た世界を描いています。けれども脳がすべてと言いたいわけではなく、思考の中心に脳を置いて話を進めた場合になにがわかるかを書いたものです。脳がすべてなんてバカな話はない、と対談で養老氏は語っています。
いずれにしてもガッカリ本
(2007-01-01)
唯物論に徹しきれない者の目を覚まさせるような科学的知見や哲学的思索を期待したが、
音楽的センスのなさには目をつむるにしても、
行間にF・ジャコブ「可能世界と現実世界」(1982)が透けて見え、
期待はずれを超えて寒い。同著者の以後の本を読む気力が失せた一冊。
脳解剖学者のエッセイ集
(2006-12-18)
心臓を形態的に調べてもその機能すなわち循環動態はわからないのと同様、脳をいくら調べてもその機能、心はわからないと言うくだりが妙に印象に残っている。脳があり世界がある。人が知覚しえる世界は、人間の脳がすべて作り出している。脳が理解しえないことは存在しないということになる。すると心は存在しないことになる?
面白い本であるがエッセイ集で論文集ではありません。ご注意を!
おすすめ度:
医学的・科学的 哲学書
解剖学の専門家である著者が、「脳」という医学的・科学的見地から語るユニークな哲学書。
本書の主旨は、以下の著者の言葉に端的に表れているだろう。
「われわれはいまでは脳の中に住んでいる。したがって、その脳を知ることは、われわれの急務である。それが、公式的には、私が唯脳論を書いた動機である。」
その真意を知りたければ、もちろん本書に目を通すのが一番だが、個人的に興味を持った部分を幾つか紹介する。
まず言語について。言語を視覚と聴覚の統合と捉え、構造と機能の関係との類似点を指摘する辺りはなかなか興味深い。
「視覚は時間を疎外あるいは客観化し、聴覚は時間を前提あるいは内在化する」
「構造では時間が量子化され、機能では流れる。構造と機能という、この二つの観念がそもそもヒトの頭の中に生じるのは、いわば脳の視覚的要素と聴覚的要素の分離ではないのか。」
さらに、「脳化と身体性」という本題に言及。そこで、「社会とは、すなわち脳の産物である」とし、独自の視点から社会を捉えようとする。
「ヒトは本能が壊れた動物である。それが生きていくためには、本能に代わるものとして幻想が必要である。幻想は各個人のうちにあり、社会はその共通部分を『共同幻想』として吸い上げることによって成立する。」
「われわれはいまでは脳の中に住んでいる」
「社会は脳の上に成立し、個人は身体の上に成立する。」
共通認識としての社会はまさに「脳」による産物であり、対して個人を特徴づけるのは「身体」。脳化を善・進歩とする現代の社会では、身体性が抑圧され、身体=死体は嫌われ、排除される。そこには「個人=身体は滅びても、脳=社会は滅びない」という思想が横たわっており、死に向き合おうとしない社会性を問題視する。
本書を読み進むと、映画「マトリックス」を思い浮かべるが、敢えて映像化するなら大きなずれはないように思う。著者は「唯脳論」によって脳化社会を肯定しているわけではなく、脳の肥大化により排除されつつある身体性を取り戻すべきであることを主張している。
良い
これほど明快に一元論が語られたことがあっただろうか。すばらしい。
脳がすべてという誤解
脳から見た世界を描いています。けれども脳がすべてと言いたいわけではなく、思考の中心に脳を置いて話を進めた場合になにがわかるかを書いたものです。脳がすべてなんてバカな話はない、と対談で養老氏は語っています。
いずれにしてもガッカリ本
唯物論に徹しきれない者の目を覚まさせるような科学的知見や哲学的思索を期待したが、
音楽的センスのなさには目をつむるにしても、
行間にF・ジャコブ「可能世界と現実世界」(1982)が透けて見え、
期待はずれを超えて寒い。同著者の以後の本を読む気力が失せた一冊。
脳解剖学者のエッセイ集
心臓を形態的に調べてもその機能すなわち循環動態はわからないのと同様、脳をいくら調べてもその機能、心はわからないと言うくだりが妙に印象に残っている。脳があり世界がある。人が知覚しえる世界は、人間の脳がすべて作り出している。脳が理解しえないことは存在しないということになる。すると心は存在しないことになる?
面白い本であるがエッセイ集で論文集ではありません。ご注意を!

