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カスタマーレビュー
おすすめ度:
「ひきこもる」若者〜大人に対して「怠け者」「わがまま」「自己愛的」という非難の目が向けられがちな世の中の風潮に対して、新たな視点を与えてくれる一冊
(2008-10-06)
著者の斉藤環先生は、「ひきこもりが治る」ということを「自由になること」と表現している。「自由になる」ということはあらゆる価値観や信条に関して「縛られない」ということである。
まず、ひきこもりからの脱出=まともな職につくこと、という固定観念を捨てることが前提となる。家族と同居している場合も、叱咤激励したり厄介者扱いしたりするかわりに「あいさつ」をし、「声をかけること」を薦めている。また、職につかせようとあせったり、医療機関への受診を強制することは解決とならないどころか、ひきこもりを通じてぎりぎりのプライドを保っている当事者をさらに追い詰めてしまうという。「安心していられる居場所」をつくることが第一歩なのだとしている。
ひきこもっている若者たちは、言葉や行動で家族を攻撃するかもしれない。けれど彼らの多くは「自分はダメな人間だ」と感じている。家族に対する攻撃的な言葉や行動も、社会からの逃避も、自らの思い通りに動けない若者たちの苦悩の表現なのだ。
そのうえで、「将来設計」に関して必要なこと、有意義なことを段階的に進めていく。たとえば家族内で、面倒を見られるのはいつまでか(金銭面)、両親が働けるのはいつまでか、相続などについても具体的に話し合っておく。
ひきこもりを「治療の対象」とすることは短絡的なのかもしれない。家族でない第三者が声を掛けること、仲間と接する場所をつくること、本人が望んだときに就労支援に結びつけること、などがひきこもりからの脱出の糸口になるケースも多い。ひきこもり=怠け者or堕落者というレッテルを剥がして「ひきこもり能力」があるというように見かたを変えること(リフレーミング)も有効らしい。
治療者に対しては「治療の快楽」に浸ってはいけない、と警告すると同時に、本人および周囲の人に対しては「治療美談」(あのDr.が・・・あの人と出会ったことが、私の人生を変えた!というような劇的な体験談)を鵜呑みにしてはいけないとも書かれている。
*個人的に「治療美談を鵜呑みにしない」という教訓は納得できるところがありました。一時的な判断で大金を失い、それがまた自信喪失につながることがあるからです。
結論的には、本人の意思を尊重し、「やりたいことがあったらやってみる」ことを勧める。
一方「何もしたくない人」に対しては、援助を打ち切ったり就労に結びつけるのはしばしば致命的な結果をもたらす。それよりも、仲間集団とのかかわりを通じてコミュニケーションの機会を増やしていくことが長い目でみて有効だという。
ひきこもっている本人が、自分らしく生きられるような環境を調整し、本人の自信を育んでいくことが重要なのであろう。
ひきこもりから現代を見る
(2008-05-18)
ひきこもりの第一人者が今回は理論的にひきこもり精神病理を展開する。ラカン、コフート、クライン、ビオンと一般人には比較的なじみの少ない(主にフロイト派の)精神分析医達の理論から現代日本人のひきこもり現象を解説する切り口は新鮮でオリジナルなものだろう。筑波大の医局時代からすでにこのテーマに取り組んできたというから経験と理論に裏付けられたこの本は多くのひきこもりに関わる家族、教育者、医療関係者に多くの示唆と勇気を与えるものである。特に耳慣れないビオンの「集団における意識と無意識」の考え方はひきこもりを抱える家族の苦しみ、誤解を解くのに示唆を与えるだろう。惜しむらくは具体例がなくやや抽象的なので「そうかそうだったのか」と思えても目の前の症例にどう応用したらよいのかに結びつきにくいことだろう。しかしそれは著者の他の著書を参考にすべきだろう。
読みやすかった
(2008-03-26)
ラカン派の精神科医、斎藤環さんの本。
面白かったです。
精神分析理論についての専門的な内容が非常に「臨床的な視点」から書かれていますが、専門書ではなく一般向けの本ですので、大変読みやすかったです。
コフートの自己心理学理論や、ラカン、クライン、ビオンなどといった対象関係論など、様々な観点からの精神分析的アプローチ法がとっても分りやすく書いてあるところが、この先生はただ者ではない、、、と感じさせられました。
特に、ラカンについて分りやすく解説されている章はあり難かったです。
ひきこもりを「病理」としてではなく「ひきこもれる能力」として捉えているところが、すごいなぁ〜〜と思いました。
もちろんそうなんだけれど・・・
(2008-01-29)
今、ひきこもりの支援をやっている者としては、押さえておきたい考えが書かれており(少し小難しいが…)参考になる1冊である。読み物ではないかな。
しかし、これが支援の方法の中心になるとは考えにくい。
斉藤環という人は斉藤環の考えの下で支援をしている。その背景にはこういった理論があったんだという理解にはなるが、だから同じようにしようとか、安易に考えてもダメなんでしょうね。理論もそんなに裏づけがあるわけではないし…。
でも、まぁ、そんなもんですかね。
冷淡にならない冷静さ
(2007-11-25)
この本のタイトルは絶妙である。今年の心理・精神医学書のベストタイトル賞(←そんなのありか?)をあげたい。本当に素晴らしい。治療者が治ると思ってなかったら治らないよね、実際。また「治る」にカギカッコがついていることですぐわかるように、そもそもひきこもりが病気なのかどうか、微妙な問題である。そのような機微をきちんと語って間然するところがない。
正直に述べると、著者である斎藤さんの本を読んで、これまであまりピンとくるものがなかった。知識の豊富さは認めるものの、どこか情にかける先生のように感じて勝手に敬遠していた。でも本書のギリギリまで削ぎ落としたシンプルな記述は、頭脳とハートの両方を持つ人にしかできないと思う。
ただ、わかりやすく書いているとはいえ、理論の紹介が多いので、今ひきこもり中の人が自分で読むのは少しつらいかも。
おすすめ度:
「ひきこもる」若者〜大人に対して「怠け者」「わがまま」「自己愛的」という非難の目が向けられがちな世の中の風潮に対して、新たな視点を与えてくれる一冊
著者の斉藤環先生は、「ひきこもりが治る」ということを「自由になること」と表現している。「自由になる」ということはあらゆる価値観や信条に関して「縛られない」ということである。
まず、ひきこもりからの脱出=まともな職につくこと、という固定観念を捨てることが前提となる。家族と同居している場合も、叱咤激励したり厄介者扱いしたりするかわりに「あいさつ」をし、「声をかけること」を薦めている。また、職につかせようとあせったり、医療機関への受診を強制することは解決とならないどころか、ひきこもりを通じてぎりぎりのプライドを保っている当事者をさらに追い詰めてしまうという。「安心していられる居場所」をつくることが第一歩なのだとしている。
ひきこもっている若者たちは、言葉や行動で家族を攻撃するかもしれない。けれど彼らの多くは「自分はダメな人間だ」と感じている。家族に対する攻撃的な言葉や行動も、社会からの逃避も、自らの思い通りに動けない若者たちの苦悩の表現なのだ。
そのうえで、「将来設計」に関して必要なこと、有意義なことを段階的に進めていく。たとえば家族内で、面倒を見られるのはいつまでか(金銭面)、両親が働けるのはいつまでか、相続などについても具体的に話し合っておく。
ひきこもりを「治療の対象」とすることは短絡的なのかもしれない。家族でない第三者が声を掛けること、仲間と接する場所をつくること、本人が望んだときに就労支援に結びつけること、などがひきこもりからの脱出の糸口になるケースも多い。ひきこもり=怠け者or堕落者というレッテルを剥がして「ひきこもり能力」があるというように見かたを変えること(リフレーミング)も有効らしい。
治療者に対しては「治療の快楽」に浸ってはいけない、と警告すると同時に、本人および周囲の人に対しては「治療美談」(あのDr.が・・・あの人と出会ったことが、私の人生を変えた!というような劇的な体験談)を鵜呑みにしてはいけないとも書かれている。
*個人的に「治療美談を鵜呑みにしない」という教訓は納得できるところがありました。一時的な判断で大金を失い、それがまた自信喪失につながることがあるからです。
結論的には、本人の意思を尊重し、「やりたいことがあったらやってみる」ことを勧める。
一方「何もしたくない人」に対しては、援助を打ち切ったり就労に結びつけるのはしばしば致命的な結果をもたらす。それよりも、仲間集団とのかかわりを通じてコミュニケーションの機会を増やしていくことが長い目でみて有効だという。
ひきこもっている本人が、自分らしく生きられるような環境を調整し、本人の自信を育んでいくことが重要なのであろう。
ひきこもりから現代を見る
ひきこもりの第一人者が今回は理論的にひきこもり精神病理を展開する。ラカン、コフート、クライン、ビオンと一般人には比較的なじみの少ない(主にフロイト派の)精神分析医達の理論から現代日本人のひきこもり現象を解説する切り口は新鮮でオリジナルなものだろう。筑波大の医局時代からすでにこのテーマに取り組んできたというから経験と理論に裏付けられたこの本は多くのひきこもりに関わる家族、教育者、医療関係者に多くの示唆と勇気を与えるものである。特に耳慣れないビオンの「集団における意識と無意識」の考え方はひきこもりを抱える家族の苦しみ、誤解を解くのに示唆を与えるだろう。惜しむらくは具体例がなくやや抽象的なので「そうかそうだったのか」と思えても目の前の症例にどう応用したらよいのかに結びつきにくいことだろう。しかしそれは著者の他の著書を参考にすべきだろう。
読みやすかった
ラカン派の精神科医、斎藤環さんの本。
面白かったです。
精神分析理論についての専門的な内容が非常に「臨床的な視点」から書かれていますが、専門書ではなく一般向けの本ですので、大変読みやすかったです。
コフートの自己心理学理論や、ラカン、クライン、ビオンなどといった対象関係論など、様々な観点からの精神分析的アプローチ法がとっても分りやすく書いてあるところが、この先生はただ者ではない、、、と感じさせられました。
特に、ラカンについて分りやすく解説されている章はあり難かったです。
ひきこもりを「病理」としてではなく「ひきこもれる能力」として捉えているところが、すごいなぁ〜〜と思いました。
もちろんそうなんだけれど・・・
今、ひきこもりの支援をやっている者としては、押さえておきたい考えが書かれており(少し小難しいが…)参考になる1冊である。読み物ではないかな。
しかし、これが支援の方法の中心になるとは考えにくい。
斉藤環という人は斉藤環の考えの下で支援をしている。その背景にはこういった理論があったんだという理解にはなるが、だから同じようにしようとか、安易に考えてもダメなんでしょうね。理論もそんなに裏づけがあるわけではないし…。
でも、まぁ、そんなもんですかね。
冷淡にならない冷静さ
この本のタイトルは絶妙である。今年の心理・精神医学書のベストタイトル賞(←そんなのありか?)をあげたい。本当に素晴らしい。治療者が治ると思ってなかったら治らないよね、実際。また「治る」にカギカッコがついていることですぐわかるように、そもそもひきこもりが病気なのかどうか、微妙な問題である。そのような機微をきちんと語って間然するところがない。
正直に述べると、著者である斎藤さんの本を読んで、これまであまりピンとくるものがなかった。知識の豊富さは認めるものの、どこか情にかける先生のように感じて勝手に敬遠していた。でも本書のギリギリまで削ぎ落としたシンプルな記述は、頭脳とハートの両方を持つ人にしかできないと思う。
ただ、わかりやすく書いているとはいえ、理論の紹介が多いので、今ひきこもり中の人が自分で読むのは少しつらいかも。

