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カスタマーレビュー
おすすめ度:
ひとは未来に生きている
(2008-11-02)
この本を読んだのは高校生の時であった。僕は本に影響されやすく、幸福の科学(笑)の本を真面目に信じたり、宇宙人が襲ってくるのではないかと怯えていた時もあった。そんな青春華やかなりし時に手に取った本である。この本がトンデモ系だと謂いたいのではなく。
そしてそんな時を経て、大学に入り、僕は英語研究会に入った。もう今は僕は彼らと縁を切ってしまったが、いっそ小林よしのりのように、はっきり面と向かって批判し、そして去っておけばよかったと思う。彼の今の立ち居地など全く無関係に、組織(学生のサークルであれ、会社であれ)に身を投じる人間が、小林よしのりのバイアスを差し引いて読まれるべき本だと思う。
そう、ひとは未来に生きている。案外組織に喧嘩を売っておん出て行っても、自身も家族も不幸になる事は無い。それよりも、ケジメをつける事の方が重要だ。使えない純情や、くだらない人間関係なんてぶち壊していくべきだと思う。それでも僕は組織(仲間)を求めるし、愛に辿り着くためには遠回りも必要だ。著者は、遠回りして今のテーマ(民族、史観など)を見つけたのだろう。それに著者が愛を見出している以上、難儀な運命だと謂う他無い。
思えばこの作品を分水嶺として、著者は遠くへ行ったのだ。僕ももうついてゆけないし、それすらも愛への遠回りなのかも知れない。ただ、愛の為にだけ。
大傑作
(2007-08-10)
運動とかかわり、失望する過程が当事者の視線でリアルに書かれている。
本当に奇跡的な本である。
川田龍平を絶対正義と今でもあがめている人々からの評判はもちろん芳しくないが・・・。
そういう人達もこの本をよんでどこか運動に違和感や警戒感をもてたのではないだろうか。
マンガのパワーにたじたじ
(2006-08-29)
本書は、著者が今のように積極的に社会に発言するきっかけとなった、
薬害エイズをめぐるムーブメントにつき、
あくまで著者の観点から回顧するものです。
まず、率直に感じたのは、
著者は、今やとても大きな存在に見えますが、
我々と大差のないごく普通の人だということです。
色々逡巡したり、怒ったり、同情したり、選択を誤まったり…。
私は著者の最近の著作は嫌いですが、
彼の持つ人間的魅力は否定しがたいです。
しかし、10年前の作品とはいえ、
本書において、既に著者の言論の危なさは露呈しています。
すなわち、著者の未消化の意見、思い込みや誤認が、
マンガという強力な媒体を通して、脳にガツンと響いてくる感じ。
例えば、川田龍平氏の最後のアップの顔など、
夢に出てきそうなほどのインパクトです。
最後に、異論はあるでしょうが、
著者の感じた、市民運動や一部の集団についての違和感をはじめ、
本書には、意義のある問題提起も含まれています。
ですから、著者には、その卓越した表現力を制御して使ってもらいたいです。
小林よしのりに取っての「やらねばならなかった戦い」
(2006-07-07)
「戦争論妄想戦」という本で、当時の宮台真司氏が、
「こういう帰結になるのは当たり前なのに、そんな事も分からずに
運動参加したのが理解しがたいですね。」と、批判している。
宮台氏だけではなく、温かく見守る側にしろ、批判者にしろ、
こうした意見は当時からあり、作者自身も、
無限運動の危険は最初から気付いていた。
しかし、答えはその後の作者の言葉で終わる。
「なら、お前がその当時、何が出来たんだ?」
「運動は無限運動に至るのが当たり前なんだよ。何でこんな事したんだ。」
「なら、子供を見捨てていいのか?」
作者は、「子供に小遣いをもらって食わせてもらった。
マンガを描くことで、一緒に遊んできた。
だから、この運動をやらなければならなかった」と言う。
売れていれば、人格まで認められていると勘違いし、
過去に提供したものへの責任など考えない人間は多く、
私自身、そういう人間を多く見ていて、表現者への信頼を失っていた。
読者のことを忘れていないこと。
これを言った事は素晴らしい。例え表層だけとしても評価は変わらない。
情という物は、つくづく論理からは生まれないのだろう。
「権力/反権力」の二項対立図式に風穴
(2006-03-31)
この時期のよしりんは輝いていました。
「被害者」「弱者」を批判することは、良心的な人であればあるほど難しい。それだけに「弱者」の立場を利用すれば、ほとんどの批判を封じる強大な権力を振るうことも可能になる―薬害エイズ訴訟の支援運動に携わって得た経験から、著者は「弱者権力」という逆説的な概念を示しました。これによって「権力/反権力」「強者/弱者」の安易な二項対立図式に風穴をあけ、「弱者の立場」に潜みうる権力性をあぶり出したことはよしりんの確かな功績です。ある左翼系の論者は「弱者権力」など矛盾概念で理解不能、と批判しましたが、これはむしろ、まともに理解すると自分たちの立場の正当性がぐらつくから、理解できないことにしている、とさえ思えます。
けれども、「弱者権力への批判」は、ともすれば文字通りの弱者バッシング、「反権力はいかがわしい」という権力側の論理に転化しうる危険性をもっています。その後のよしりんの動向を見るにつけ、彼自身がこの陥穽に落ちていったような気がするのは私だけではないでしょう。最近では多少なりともバランス感覚は取り戻しつつあるとは思いますが。
おすすめ度:
ひとは未来に生きている
この本を読んだのは高校生の時であった。僕は本に影響されやすく、幸福の科学(笑)の本を真面目に信じたり、宇宙人が襲ってくるのではないかと怯えていた時もあった。そんな青春華やかなりし時に手に取った本である。この本がトンデモ系だと謂いたいのではなく。
そしてそんな時を経て、大学に入り、僕は英語研究会に入った。もう今は僕は彼らと縁を切ってしまったが、いっそ小林よしのりのように、はっきり面と向かって批判し、そして去っておけばよかったと思う。彼の今の立ち居地など全く無関係に、組織(学生のサークルであれ、会社であれ)に身を投じる人間が、小林よしのりのバイアスを差し引いて読まれるべき本だと思う。
そう、ひとは未来に生きている。案外組織に喧嘩を売っておん出て行っても、自身も家族も不幸になる事は無い。それよりも、ケジメをつける事の方が重要だ。使えない純情や、くだらない人間関係なんてぶち壊していくべきだと思う。それでも僕は組織(仲間)を求めるし、愛に辿り着くためには遠回りも必要だ。著者は、遠回りして今のテーマ(民族、史観など)を見つけたのだろう。それに著者が愛を見出している以上、難儀な運命だと謂う他無い。
思えばこの作品を分水嶺として、著者は遠くへ行ったのだ。僕ももうついてゆけないし、それすらも愛への遠回りなのかも知れない。ただ、愛の為にだけ。
大傑作
運動とかかわり、失望する過程が当事者の視線でリアルに書かれている。
本当に奇跡的な本である。
川田龍平を絶対正義と今でもあがめている人々からの評判はもちろん芳しくないが・・・。
そういう人達もこの本をよんでどこか運動に違和感や警戒感をもてたのではないだろうか。
マンガのパワーにたじたじ
本書は、著者が今のように積極的に社会に発言するきっかけとなった、
薬害エイズをめぐるムーブメントにつき、
あくまで著者の観点から回顧するものです。
まず、率直に感じたのは、
著者は、今やとても大きな存在に見えますが、
我々と大差のないごく普通の人だということです。
色々逡巡したり、怒ったり、同情したり、選択を誤まったり…。
私は著者の最近の著作は嫌いですが、
彼の持つ人間的魅力は否定しがたいです。
しかし、10年前の作品とはいえ、
本書において、既に著者の言論の危なさは露呈しています。
すなわち、著者の未消化の意見、思い込みや誤認が、
マンガという強力な媒体を通して、脳にガツンと響いてくる感じ。
例えば、川田龍平氏の最後のアップの顔など、
夢に出てきそうなほどのインパクトです。
最後に、異論はあるでしょうが、
著者の感じた、市民運動や一部の集団についての違和感をはじめ、
本書には、意義のある問題提起も含まれています。
ですから、著者には、その卓越した表現力を制御して使ってもらいたいです。
小林よしのりに取っての「やらねばならなかった戦い」
「戦争論妄想戦」という本で、当時の宮台真司氏が、
「こういう帰結になるのは当たり前なのに、そんな事も分からずに
運動参加したのが理解しがたいですね。」と、批判している。
宮台氏だけではなく、温かく見守る側にしろ、批判者にしろ、
こうした意見は当時からあり、作者自身も、
無限運動の危険は最初から気付いていた。
しかし、答えはその後の作者の言葉で終わる。
「なら、お前がその当時、何が出来たんだ?」
「運動は無限運動に至るのが当たり前なんだよ。何でこんな事したんだ。」
「なら、子供を見捨てていいのか?」
作者は、「子供に小遣いをもらって食わせてもらった。
マンガを描くことで、一緒に遊んできた。
だから、この運動をやらなければならなかった」と言う。
売れていれば、人格まで認められていると勘違いし、
過去に提供したものへの責任など考えない人間は多く、
私自身、そういう人間を多く見ていて、表現者への信頼を失っていた。
読者のことを忘れていないこと。
これを言った事は素晴らしい。例え表層だけとしても評価は変わらない。
情という物は、つくづく論理からは生まれないのだろう。
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この時期のよしりんは輝いていました。
「被害者」「弱者」を批判することは、良心的な人であればあるほど難しい。それだけに「弱者」の立場を利用すれば、ほとんどの批判を封じる強大な権力を振るうことも可能になる―薬害エイズ訴訟の支援運動に携わって得た経験から、著者は「弱者権力」という逆説的な概念を示しました。これによって「権力/反権力」「強者/弱者」の安易な二項対立図式に風穴をあけ、「弱者の立場」に潜みうる権力性をあぶり出したことはよしりんの確かな功績です。ある左翼系の論者は「弱者権力」など矛盾概念で理解不能、と批判しましたが、これはむしろ、まともに理解すると自分たちの立場の正当性がぐらつくから、理解できないことにしている、とさえ思えます。
けれども、「弱者権力への批判」は、ともすれば文字通りの弱者バッシング、「反権力はいかがわしい」という権力側の論理に転化しうる危険性をもっています。その後のよしりんの動向を見るにつけ、彼自身がこの陥穽に落ちていったような気がするのは私だけではないでしょう。最近では多少なりともバランス感覚は取り戻しつつあるとは思いますが。

